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心が潰れそうになるモーメントを体験した、ような氣がする。
目に見えないし、パリーンとか効果音は入らないし、すぐ側で心療内科医がスタッと旗を上げたわけじゃないから、そういう氣がするだけ、かもしれない。
それでもその感覚は確かにある。
のだけれど、何がわたしに起こったかを箇条書きにしたら、
「ちょっとなーに、その大袈裟なリアクションは!
(−_−#)。あたしなんか……」
とノンストップで2時間以上は話す人がゴロゴロゴロゴロ、今いる晴海通りを埋め尽くす、と思う。
そう言えば、前はそんなことわたしにも時折あったけど、ヤワな心を守るサボテンの棘を生やしてみたり、マトリックスや荒川静香さんみたいに ぐにゃんと曲がって そういうことに激突しないようにしたりと、いろいろな耐性を身につけていたような。
そういった保身の創意工夫を一切しないでいると、突発的な衝撃をもろにくらった時、絹豆腐が潰れたみたいにぐしゃんぐしゃんになってしまう。もう何をどうしたって奴の器には盛れない。
でも役者は思うのよね。
「この感覚、覚えとこ」
夕べ ハッと思って、その感覚を抱いたままモノローグを口にしてみたり、理解しきれていなかった戯曲を読み返したりしました。
驚くほど言葉が身体に沁みていく。
沁み入ったものが、言葉になって口から出ていく。
身体が動く。
それから延々、鳥がピーチクパーチク朝を知らせるまで@リビングルーム。
保身なんかしないで、剥き出しのこころだったからこそ得られた感情は、苦い経験からしか生まれなかったもの。
どんなことでも経験していくことを怖がっちゃいけないな。
結果を先回りして封じて、自分を守ることを優先してたら、何も得ずにそこまでで終わってしまう。
人生をコメディーにするには、まず自分の過ちを笑うこと。
あたしばかよねー。いや、ほんまっ!
笑っていこう (^人^)